「医事不自然」(医事は自然に如かず)は、医事に関する様々なことは自然の力に及ばないという意であり、『解体新書』の翻訳事業で知られる江戸時代中期の蘭学者、杉田玄白先生八十五歳の絶筆である。この言葉は人間がかかわる医学・医術・医療が無意味であるという意味ではない。医療者の立場から見れば、全ての医療的介入は自然の治癒力を最大限に引き出すものであらねばならないとの教示である。
かつて理論物理学の大家、湯川秀樹先生揮毫の『荘子』知北遊篇からの一文、「天地有大美而不言、四時有明法而不議、萬物有成理而不説、聖人者原天地之美、而達萬物之理」を大阪大学総合学術博物館で拝見した。大美あるも言わず、明法あるも議せず、成理あるも説かずの天地自然に対し、我々医療者はどのような状況においても襟を正し謙虚であらねばならないと痛感する。
*緒方富雄博士:江戸時代後期の蘭学者、適塾を開塾し人材を育成、種痘普及に貢献なさった緒方洪庵先生の御曾孫で血清学者。血清学の分野以外に病理学、洪庵先生の伝記編集など蘭学・医学史研究、および社会事業にわたる多大な業績を残された。
参考資料:
片桐一男全訳注:講談社学術文庫「蘭学事始」, 講談社, 2000
片桐一男著:「知の開拓者 杉田玄白---『蘭学事始』とその時代, 勉強出版, 2015
市川安司, 遠藤哲夫著:新釈漢文大系「荘子 下」, 明治書院, 1975