花紅柳緑~院長のBLOG

座右の銘「医事は自然に如かず」

小金井 春の夜は桜にあけてしまひけり はせを│日本花図絵

小金井桜 日本花図絵小金井 春の夜は桜尓あけて志まひけり 者せ於│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九

金井橋(こがねゐばし) 多摩川の上水堀両岸の芝堤にあり。金井村(こがねゐむら)に架す。故に名とす。この地の桜花(さくら)は享保年間、群官川崎某(それがし)台命を奉じ、和州吉野山および常州桜川等の地より、桜の苗を植ゑらるゝ所にして、その数凡そ一万余株ありしとぞ。立春より五十四五日の頃開き初めて、六十日目を満開の期とす。七十日目の頃に至りては落花す。最もその年の寒暖に寄りて、少しの遅速はありといへども、大方は違わず、就中、金井橋の辺は佳境にして、爛漫たる盛りには、両岸の桜、玉川流れを夾んで一目千里、実に前後尽くる際をしらず。こゝに遊べば、さながら白雲の中にうが如く、蓬壺の仙台に至るかとあやしまる。最も奇観たる故に、近年都下の騒人韻士遠きを厭はずしてこゝに来たり遊賞す。(「江戸名所図絵 中巻」, p553-558)

 春の夜は桜に明けてしまひけり    誹諧翁艸  芭蕉

小金井春景 江戸名所図会小金井橋春景│「江戸名所図会」

春の夜は 江戸名所図会春能夜ハさくらにあけて志まひけり 芭蕉│「江戸名所図会」

『井呂波引月耕漫画』一編巻三、よ之部「ようろう」の画で、養老孝子は霊験あらたかな水を汲もうと、しかと握った瓢箪を美泉に差し入れる。その能う限り身を乗り出した構図は、流水に向かい手をひしと伸ばした本画の姿勢と酷似する。楽しみ有らば且く須らく楽しむべし。時なる哉、失なうべからず。夢境に遊ぶ花宴の一夜が明けた。小金井桜の男が水筋に流したのは、樹間の瓢と憂き世の塵垢と思いたい。

養老 月耕漫画よ之部 ようろう│「以呂波引 月耕漫画」復刻版一編巻三, 芸艸堂, 1979

参考資料:
鈴木棠三, 朝倉治彦校注:「新版 江戸名所図会 中巻」, 角川書店, 1975

小桜威 勇士の月│日本花図絵

小桜威 日本花図絵小桜威 勇士月│尾形月耕「日本花圖繪」明治廿九年

小桜文様を施した威毛の鎧の武士が横笛を奏でる。萩の花が咲きこぼれる静夜、月が高く澄み上がった空には一片の雲もない。隈なく照らす月影の下、勇士の佇まいは常の心のまま従容として揺るぎなく、奏でる笛の調べが秋夜の静寂に響き渡る。武田信玄の野田城攻めで敵方の笛の名手、松村芳休がこの夜限りと奏でた笛、熊谷直実に討たれし上臈、平敦盛が陣中も肩身離さず携えていた御下賜の笛、小枝の故事もかくなむありける。「紫宸殿の桜 重盛 義平」と同じく本画に実際の桜花はない。また『日本花図絵』三十六図中で月出皎兮の風景が描かれた唯一の画である。

Chivalry is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem, the cherry blossom; nor is it a dried-up specimen of an antique virtue preserved in the herbarium of our history. It is still a living object of power and beauty among us; and if it assumes no tangible shape or form, it not the less scents the moral atmosphere, and makes us aware that we are still under its potent spell. The conditions of society which brought its forth and nourished it have long disappeared; but as those far-off stars which once were and are not, still continue to shed their rays upon us, so the light of chivalry which was a child of feudalism, still illuminates our moral path, surviving its mother institution. (ChapterⅠ Bushido as an ethical system│BUSHIDO: The Soul of Japan)

武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。それは古代の徳が乾からびた標本となって、我が国の歴史の腊葉集(さくようしゅう)中に保存せられているのではない。それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。それはなんら手に触れうべき形態をとらないけれども、それにかかわらず道徳的雰囲気を香らせ、我々をして今なおその力強き支配のもとにあるを自覚せしめる。それを生みかつ育てた社会状態は消え失せて既に久しい。しかし昔あって今はあらざる遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。(第一章 道徳体系としての武士道│「武士道」, p25)

参考資料:
Inazo Nitobe: BUSHIDO: The Soul of Japan, IBC パブリッシング, 2025

新渡戸稲造著, 矢内原忠雄訳:「武士道」, 岩波書店, 2018

 

紫宸殿の桜 重盛 義平│日本花図絵

平重盛 源義平 紫宸殿紫宸殿の桜 重盛 義平│尾形月耕「日本花圖繪」明治丗年

(悪源太、源義平)の給ひけるは、「端武者共に目なかけそ、罪作りに。大将軍重盛計に目を懸よ。はしの匂の鎧に、蝶の丸すそ金物、黄鴾毛の馬の乗ぬしこそ大将軍よ。押ならべてくんでおち、てどりにせよや。者ども。」と下知をす。重盛をくませじとふせぐ平家の侍ども、与三左衛門・新藤左衛門を始として、百騎計中にへだゝる。悪源太を初めて十七騎の兵ども、大将軍重盛ばかりにめをかけてくまんと大庭の椋木を中にたて、左近の櫻、右近の橘を五廻・六廻・七廻・八廻、既十度計に及んで組んくまんとかけければ、十七騎にかけ立られて、五百余騎かなはじとや思ひけん、大宮面へざと引。(中略)
悪源太弓をばわきにかひはさみ、鐙ふんばりついたちあがり、左右の手をあげ、「義平源氏の嫡々なり。御邊も平家の嫡々なり。組んところにいかでか嫌はるべき。よりあへや。組申さむ/\。」とて、先のごとく大庭の椋木を中に立て五六度まで追廻す。(待賢門の軍の事│「平治物語」中, p225-226)

*櫨(はじ)の匂の鎧:襲の色目「櫨紅葉」のように、櫨の葉色が次第に紅葉する様を表す濃淡配色の威(おどし)で構成される鎧
*黄鴾毛(きつきげ)の馬:月毛(淡黄色や淡黄褐色の毛色)がさらに鮮やかな濃黄色や黄金色にみえる毛色の馬。

平治物語が描く平治の乱は冬季(旧暦12月)におこった戦乱である。左近の桜の枝には雪が降り積もり、追いつ追われつの攻防を繰り広げる両雄の頭上にも絶え間なく雪が降りしきる。勇猛で武骨な坂東武者とは異なるやさしき上臈を示すのか、重盛の鞍褥、轡、鐙や太刀には銀泥が施されている。桜にまつわる場面を題材とした揃物『日本花図絵』三十六図の中で、実際の桜花が描かれていない画の一つである。

参考資料:
永積安明 島田勇雄校注:日本古典文学大系「保元物語 平治物語」, 岩波書店, 1961
谷口耕一, 小番達:「平治物語 全訳注」, 講談社, 2019
城一夫:「時代別 日本の配色辞典」, パイインターナショナル, 2020