
有吉佐和子著『出雲の阿国』(中央公論社、1969)の主人公、出雲の阿国は、安土桃山から江戸時代にかけて活躍した、現代歌舞伎の起原とされるかぶき踊りを創始した芸能者である。鑪(たたら)の大旦那、田部庄兵衛のお土居屋敷の邸内を埋め尽くした鑪衆を前に、阿国は最後となる阿国歌舞伎を披露し声を限りに唄い踊る。
薄の契や 花田の帯のただ片結び
よし名の立たば立て 身は限りあり いつまでぞ
よしや頼まじ行く水の 早くも変る人の心
花籠に月を入れて 漏らさじこれを
曇らさじと持つが大事な (閑吟集)
舞台を降り女人禁制である鑪の火を見届けた後、田部庄兵衛方を辞する際の願いの一つは、何処で果てようともその墓の在所を誰にも告げず鑪者として葬って下さいませ、であった。(『出雲の阿国』下の巻, p319-324)
『出雲の阿国』の初版本を拝読したのは、襁褓が取れたばかりの中学生の頃である。今も鮮明に脳裏に蘇るのは最期の情景であり、鉄穴流し(かんなながし)で赤く流れる揖斐川を辿り、転がる大石で脚が潰された時に阿国が感じた鑪の焔の如き熱さ、「もはや、踊れぬ」の痛切な思い、雪裏に散った命の赤色である。
何十年ぶりかで再び『出雲の阿国』を紐解いた契機は、話題の映画「国宝」鑑賞にある。本書の帯文<私の書きたかったこと>には、生産という場所には芸能が本来かかわりあわないものなのかどうか---という問いが、執筆にあたり抱いていた一つの姿勢であったと記されている。「唄や踊りで何が育つか、何が捻るか。誰の腹がくちくなるか。唄や踊りで銭を取るのは傾いた女のすることで、土を離れた根無し草よ。畑から引き抜かれた青菜は、町で売りゆく間にも凋(か)れてゆくものぞ」(『出雲の阿国』上の巻, p171 )は、命果てるまで踊りたくて踊りぬいた阿国が終生胸裏で反芻し続けた、守口の里のお婆に投げつけられた言葉である。
続く帯文の文末は、小説を書く仕事がいったい何の役にたつものなのかという、何時も付きまとっていた後めたさを正面切って見据えたこと、どんなときでも阿国が踊った様に、私もきっと、もうどんなことがあっても書くのだと思い知り、本書に精一杯の芸術論を叩き込んだという宣言で締められている。
かつて<実業と虚業>(2017/11/12)に挙げたが、「人々を慰謝する仕事をしている人間がこのような自分でといいのかと心弱くなった時、伎芸天が世の為人の為、何か少しでも慰め励ますことが出来るのなら大事なことだよと無言で言って下さっている気がする」(BS朝日《五木寛之の百寺巡礼》 , 秋篠寺探訪篇, 2017/4/20放映)、「実社会で何等かの「実業」に就いているに違いない人たちの流れに対して何時までもある抵抗があり、物を書くという営みを「虚業」というふうに意識せずにはいられなかった」(中野孝次著『ハラスのいた日々』, p195, 文藝春秋, 1990)という言葉にも帯文と同質の感慨を拝することができる。
その道の大家となられても、取り組んでこられた生業の存在意義と立ち位置を今尚見定めんとなさる作家諸先生の真摯で厳粛な姿勢に、門外漢の素人として只々頭を垂れるばかりである。
最後に、“足捌き”や“すり足”という言葉が示す様に、“足”は舞や踊りを象徴的に想起させるキーワードである。通常、足や脚を失うとは舞や踊りの世界からの退場勧告に他ならない。もっとも昨今は義足技術の発展により、失うことが必ずしも踊れずの宣告でなく、再構築が困難であろうが芸能者の舞台復帰が完全に閉ざされることはない。それでも『出雲の阿国』の阿国、『国宝』の大垣俊介(花井半弥)、『三世沢村田之助---小よし聞書』の三代目沢村田之助が直面した悲劇を考える時、終生専一に歩き続けた道が予期せぬ事情で(仮に手足を失わずとも)断たれんとするその刹那、芸能者がまなかいに見る景色は如何なるものなのかと思わずにはいられない。
道を失う、ライフストーリーの破綻や喪失は、芸能者のみならず、舞台とは無縁の多くの人生においても遭遇しうる局面であろう。一期は夢の如し。おのれのあるがままの人生を受容し而今に生きるべく此処に記しておこう。
「たゞ今日今時をすごさずして日日時時を勤むべきなり」(正法眼蔵随聞記・第六)

