
NHKスペシャル時代劇『眠狂四郎』(3月24日、NHK総合放映)は、時代小説・剣豪小説の大家、柴田錬三郎が生み出した、孤絶非情の剣士・眠狂四郎が主人公である。令和の『眠狂四郎』は、賑々しく娯楽性のある見せ所を重ねた従来の映像化とは一線を引き、時代が異なる現代の孤独を投影し、人間の内面や宿命を洞察させる象徴劇として構造化されている。大人の陰翳と艶をみせる令和の眠狂四郎を演じたのは長谷川博己(敬称略、以下同文)である。
プロローグは本編十八年前の文化七年に遡る。青い月光が差し照らす幻想的な舞台空間で、眠狂四郎は一瞬の躊躇いもなく、剣の師を一刀のもとに断臂し名刀・無想正宗を奪い取る。ドラマを貫く基調色「青」は熱の対極の“寒”と生の対極の“死”を表し、本篇の立ち回り場面にも反映され、冷え枯れた殺陣は様式美をみせる。蒼ざめた月光は、先の大河ドラマ『麒麟がくる』<闇に光る樹>で、明智光秀(長谷川博己)が天上の月に届く大樹に斧を振るった夢の光景を想起させる。
本篇は幕閣水野忠成と水野忠邦間の権力闘争、徳川家斉御下賜の束帯雛を巡る攻防に切支丹信者、政商、盗賊や間者が三つ巴で交錯し、松平主水正邸における因縁の死闘へと進行する。眠狂四郎(虚無の闇)、松平主水正とその腹心の剣豪・戸田隼人(権力、血統と秩序)、茅場静香(無償の信仰)の最小構成が配置された最終決戦で、切先が完全な円相を描く瞬間に相手を斬る円月殺法が一撃必殺で繰り出される。松平主水正(狂四郎と静香の祖父である)は、権門の純血と正当性を守る為に血脈を問わず、異教に関係を持った者の完全抹殺を厭わない。狂四郎が主水正を斬ったのは、正義を嘯く権力構造に対する天誅か、母の仇討である復讐か、討ち果たし狂四郎が解放されたのか、答えはいずれも否である。暗い出自の根源を断ち切るとも予定調和の安息は生まれない。それでも狂四郎は斬る。今この場この刹那、狂四郎を拘束し強制するもの全てを斬る。それが狂四郎の存在論的構造である。
狂四郎を取り巻く個性豊かな女性陣の中で、茅場静香(黒島結菜)は最も近接しかつ永遠に交差しない女性である。神が救ってくれるのかと狂四郎に面罵され、喉先に刃を突き付けられた時、大目付・松平主水正邸に人質として据えられ棄教を迫られ、毒薬の一閃を浴びた際も、従容として運命(さだめ)と受け入れ姿を崩さない。藍染の鍋島緞通が敷かれた権門邸座敷の室礼として、竹(此君と称えられる)と菊花(寒粛に花開く)で構成されている立華は、神を信じ他者への慈悲に満ち現世利益の救済を求めず自分軸を貫く、静香という存在の構造図そのものである。終盤、狂四郎は死に瀕した静香の躰を抱き乱れた髪をかきあげ、彼らしからぬ感情を発露する。それは世界を引き受け自らに収めきる静香に、おのれと同質の傲骨を見たからだろう。
終章は、青に近似する翠緑の枝葉を広げ、大地に勇壮に屹立する巨樹(人知れぬ深山を彷彿とする甲賀岩尾池の一本杉の映像である)の傍らに一人佇む狂四郎の姿である。かつて恩師が「名刀とは己を写す鏡。無明の自我が持てば、残虐無道な悪魔の毒牙となる。その憎しみはいつかお主を滅ぼすぞ。」と残した言葉に対し、狂四郎は無想正宗の刃に向かい「己を写す鏡か。滅ぼしてみろ。滅ぼせ!」と言い切り、携えてきた形見のロザリオを自然石の墓前に置いて去りゆく。狂四郎を庇い泰然として刑場の露と消えた母の墳墓の地(おそらく自然石の下に遺骨はない)は、疎外と孤絶に立ち続ける修羅道の起点であり、自己の存在理由を刻んだ狂四郎の聖地である。
主たる俳優陣:
眠狂四郎(長谷川博己)、茅場静香(黒島結菜)、松平主水正(坂東彌十郎)、戸田隼人(高橋光臣)、千津(原沙知絵)、剣の師(本田博太郎)、武部仙十郎(宅麻伸)、水野忠成(西村まさ彦)、徳川家斉(前川泰之)、水野忠邦(木村了)、備前屋(神保悟志)、女狐(菜々緒)、文字若(佐藤江梨子)、喜平太(今野浩喜)、金八(森永悠希) (初回放送に続く4月29日に、『眠狂四郎』99分長尺版がBSで放映される。)
*眠狂四郎は神を否定し救済を拒絶する。茅場静香は神を信じ救済を求めない。救済のない物語が現代になぜ必要なのか。NHKスペシャル時代劇「眠狂四郎」の所感・其二を後日アップロード予定である。