花紅柳緑~院長のBLOG

座右の銘「医事は自然に如かず」

桜花問答 稲宣義 唐使│日本花図絵

桜花問答 日本花図絵櫻花問答 稲宣義 唐使│尾形月耕「日本花圖繪」明治丗年

 正徳辛卯、韓使来聘時に宣義、彼の学士と客館に於て語りて筆す。書記等は物産を質問す。宣義曰く、「此樹我が土では櫻花と名づく。樹の高さ二三丈、葉は垂絲海棠と一様なれど、惟だ枝条柔軟ならざるを異と為す。三月初めて葉を生じ花を開く。略薔薇長春の花形に似たり。其の色白あり紅あり、又重弁単弁の異あり。蒂の長さ三四寸、葉間に於て或は三蕚より五六蕚に至り、叢を為して生ず。一に海棠花の如し。而して蒂は差々長く、単弁の者は結實し、形郁李子に似て小なり。生ぜん時は青く、熟する時は紫赤にして味は甘し。其の葉穉きは淺紫色、大なるは縹緑色、霜後に至りて葉丹く愛す可し。花品甚だ多く数十百品に至る。其最も観る可きは都勝有り。粉紅重弁、花頭甚だ豊かにして特に嬌麗を極むるは御愛あり。単弁粉紅にして常花に比するに差々大なり。美人紅有り。重弁嬌紅にして開くこと早し。緋桜有り、千葉初めて綻びて深紅なり。開くに及びて色漸く衰ふ。香桜有り、芬郁特に甚だし。又一叢中に花を開き、重単相間する者有り。衆花攢りて毬を爲る者有り。繁密枝に綴り花を作し、千葉郁李花の如き者有り。豊腴艶美にして群芳皆下風に在り。遍く古今の載籍を査するに、率ね垂糸海棠を收めて此花有るを言はず。豈中原の地、稀に有る所を以て見るに及ばざるか。貴国弊邦と相隣し、地気当に甚だ遠からざるべし。或いは此花有らん。名字亦何を以て之を称するや。」
 学士李東郭答へて曰く、「俺(われ)始めて馬島に到り、貴邦の所謂白桜桃を見るを得たり。其の枝葉の奇なるは、信に書中の視す所の如し。而お第だ已に花時に後れ、其の花色の爛熳たるを見るを得ざりしを恨む。俺が国、桜桃、樹は高さ一二丈に至らず、欝密叢生するに過ぎず。其の実は紅白の両種有り、花色も亦零碎、婆娑として甚だ美好ならず。故に之を種うる者は只其の実を食ふが為のみ。貴邦の桜花と絶て相類せず。」

漢文中学読本 桜花問答「漢文中學讀本」巻一・第三「櫻花問答」│「明治漢文教科書集成 第9巻」

*稲生若水/稲若水(いのうじゃくすい):江戸期の本草学者、儒医。本名は宣義、字は彰信、号は若水。加賀藩に仕え大博物書『庶物類纂』編纂に着手するも志半ばで病没した。其の学問姿勢は、「広く中国を中心とする漢字あるいは漢文文化圏を視野に捉えながらも、常に日本人としての強烈な自意識を以て仕事をし続けた本草学者、それが稲若水であった。」と「稲若水『命花録』」に評されている。<桜花問答>は、若水が日本人学者として第八次朝鮮通信使の製述官、李東郭と交わした問答である。先哲叢続編、巻之四「稲若水」に収録され、日本固有のサクラとカエデが正しい漢名を持たないこと、両者を「桜」および「楓」を以て呼ぶは不適当であるとの若水の明確な見解が示されている。

参考資料:
木村淳編・解説:「明治漢文教科書集成 第9巻」, 不二出版, 東京, 2017
太田由佳:稲若水『命花録』, 近世京都1: 31-43, 2014
国立国会図書館・次世代デジタルライブラリー所蔵, 東条耕子蔵著, 岡本行敏補訂:「先哲叢談後編二 先哲叢談続編一. (日本偉人言行資料), p237-261, 國史研究會, 大正5