花紅柳緑~院長のBLOG

座右の銘「医事は自然に如かず」

當る午歳「吉例顔見世興行」の京都南座へ

當る午歳 吉例顔見世興行のまねき


京都南座にまねき看板が上がり「吉例顔見世興行」が開幕した。師走の吉日、観劇の機会を得た昼の部の演目は、第一「醍醐の花見」、第二「一條大蔵譚」、第三「玉兔」、「鷺娘」、大喜利は第四「平家女護島」である。八代目尾上菊五郎丈江、六代目尾上菊之助丈江と記された、親子の連獅子を意匠とするモダンな襲名祝幕であった。(以下敬称略)

「醍醐の花見」 京都の名刹醍醐寺にて満開の桜の下、貫禄ある重厚な佇まいの太閤豊臣秀吉(四代目中村鴈治郎)、北の政所(三代目中村扇雀)をはじめとする豊臣一門が、花見の宴に集い盃を交わし次々と華やかに舞う。吉例顔見世興行の幕開けに相応しい壮麗で豪華絢爛たる一幕である。栄華を誇り有終の美を飾る醍醐の花見の五か月後、太閤秀吉は波乱万丈の人生を終える。尾形月耕「日本花図絵 醍醐の花」は豪奢のなかに陰りゆく予感を滲ませた、彼方に去りゆく太閤秀吉と女性群像の後姿を描いている。月満つれば則ち虧く、物盛んなれば則ち衰ふ。而今の桜花爛漫を徹頭徹尾極めることなくして、日本人がこよなく愛する散りゆく桜の風体は生まれない。

「一條大蔵譚」檜垣・奥殿 都中で阿呆と揶揄される一條大蔵卿(十代目松本幸四郎)が、平家全盛の世に韜晦する“作り阿呆”で登場する。そして源氏に寄せる本性を顕す華麗なぶっ返りをみせた後、「鼻の下の長成と笑わば笑え、言わば言え。命長成(ながらん)、気も長成、ただ楽しみは狂言舞」と、再び真意を心の深奥に収めた“作り阿呆”に還る。源氏再興を目指す吉岡鬼次郎(六代目片岡愛之助)・お京夫妻(初代中村壱太郎)に心変わりを嘆じ糾弾される常盤御前(二代目中村七之助)も同じく、長き年月耐えがたきを耐えた女丈夫であった。天の時、地の利、人の和がなければ事は成らず。知る人ぞ知る本懐を秘めて勝機を待つのである。

「玉兔」、「鷺娘」 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助の「玉兔」はおとぎ話「かちかち山」を題材とする。太宰治の翻案作品「カチカチ山」の美少女の兔宛ら、ひたすら小粋で洒脱、機敏で快活である。大きな満月に写る影法師に始まる様々な人物の踊り分けが見事であり、何をしたるも幽玄なりの時分の花とはかくなるもの。尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎の「鷺娘」は真に得たりし花であり、白鷺の精の白無垢姿から引き抜きで町娘へ、最後は降りしきる雪の中で地獄の責め苦に息絶えるまでの変化舞踊が圧巻である。恋慕の妄執が罪なのか。人間同士の悲恋ならば、未来成仏疑ひなき、恋の手本となりにけりの道行となるものを。人にあらずして人への恋に殉じ泡と消えた人魚姫の悲哀に重なり、白鷺の精が只管憐れである。

「平家女護島」俊寛 鹿ケ谷の陰謀発覚で、俊寛(十五代目片岡仁左衛門)は丹波少将成経(初代中村隼人)、平判官康頼(六代目嵐橘三郎)と共に鬼界ヶ島へ配流された。御使いの瀬尾太郎兼康(九代目坂東彦三郎)、丹左衛門尉基康(六代目中村勘九郎)を乗せた赦免船が来島するも、入道相国に深く憎まれた俊寛の名だけが赦免状にない。平重盛の命を受けた丹左衛門が俊寛も備前までの帰還が叶ったと告げるが、成経の伴侶、海女の千鳥(初代中村莟玉)を替りに乗船させんが為、俊寛は一人残留を決断する。『平家物語』足摺では、「足ずりをして「是乗せてゆく、具してゆけ」と、をめきさけべども」と無惨な光景が展開するが、斯界で相当の篤学修行を経た僧都にそぐわない姿である。これに比し本舞台では、海に臨む断崖絶壁から遠ざかる船影を見送り、鬼気迫る慟哭を胸の内に深く沈めて絶対的孤独を自ら選び取った、気高く威厳に満ちた孤高があますことなく総身で体現された俊寛であった。