
女性が乗る“玉の輿”、また近年は男性が乗る“逆玉”という言葉がある。明治時代、江戸の商家に生を受け、オーストリア・ハンガリー帝国の大貴族に嫁いだ旧姓青山、クーデンホーフ光子伯爵夫人は、渡欧後、子供たちとともに多岐にわたる学問、語学や礼儀習慣を一から学ばれ、御主人逝去後は遺産相続訴訟に勝訴するべく自ら法律をも勉強なさった気骨溢れる聡明な御婦人である。偏見や嫉妬を跳ね飛ばし、それ以上に周囲から一目も二目も置かれ、揺ぎ無い座を守り抜く為には並々ならぬ精進努力が肝要である。少なくとも玉の輿にさえ乗れば、後は人生双六一丁上りで万々歳の道ではない。
身分制度がなくなった現代であるが、婚姻に際し今も生家の家格や人脈、学歴、地位や財産などの格差が、「釣り合わぬは不縁の基」と懸念されることがある。しかし齟齬や不和をもたらす決定的な原因は、各人の信条、価値観、思想や人生観などの乖離であり、個々の人生を貫き流れる基調の相違である。日常診療で年輩の御夫婦の御姿を拝する時、言葉遣いや話し方のリズム、立ち居振る舞いや佇まいが、御高齢になればなるほど相似通っておられるとお見受けすることが多い。長い人生航路において、方向性が大きく懸け離れた舵取り姿勢ならば、幾多の荒波や難所を乗り越えることは不可能である。
ところで男女間の格差に関し、かつて男性諸兄のよもやま話にごまめの魚交じりで参加した際、「自分より格上の出自である高貴な女性陣を迎い入れた豊臣秀吉は偉い」との意見を拝聴した。学問、芸術、諸芸百般、当代一流の文化教養を備えた上臈と快く時を過ごすためには、こちらも教養人たるべき見識や心得を身につけるための精進が必要であるからとの見解であった。天下統一を成した覇者が態々その様に勤めずとも、臣従の証として差し出された身ならば遵従する以外の道はない。との他からの応答に対し、それでは全く面白くないじゃないかとの熱弁であった。