
鮭は大海原に下り成長した後に、再び生まれた河川の源流を遡上する。親を知らぬまま生を受けた渓流の景色を、再び彼等は眼にすることが出来ただろうか。人も亦、時経ておのれが拠って立つ所を貫き流れる流路を遡る時が来る。その流れは継承する血流そのものなのか、あるいは後成学的に発現した表現型の流れかもしれない。『出雲の阿国』(有吉佐和子著)の阿国は、両親の故郷の出雲に帰り鑪の地で最期を迎えた。映画『国宝』の喜久雄は、実父、立花権五郎がしっかりその目で見とけと告げた気迫をその背に負い、岩をも通す一生を貫いて彼岸の雪景色を見届けた。
当方が来た道を振り返れば、父母の額帯鏡に触れたのは幼稚園の頃で、焦点を合わせるのに苦労した自らの額帯鏡は光学器械の発達で今や手にすることもない。医学生となり三回生時の解剖実習では、生前お目にかかった機会も一言の会話をかわしたこともない御方々の御遺体を拝し、各班の医学生一同は深々と一礼をした。あれから早数十年、静かに眼前に横たわっておられた御姿が脳裏から褪せる事はなく、見も知らぬ青二才に御身を託して下さった御恩に対する感謝の念は尽きない。その後、側頭骨手術解剖実習を含む耳の手術研修会に耳鼻咽喉科医として参加する経験も得た。それでも初めて御遺体を拝したあの解剖実習室の光景が、今に至る私の医師人生の原風景である。皆様が真摯に歩んでこられた人生行路の原点は何処ですか。
鳥兜(とりかぶと):鳥兜は修治を経て附子や烏頭として生薬にもなるが、根を中心として全草にアルカロイドを含む有毒植物である。夏から秋にかけて兜の様な形の美しい花を咲かせる。紫は崇高で峻厳な色であり、紫の花は自らおのれに相応しい器を選ぶ。