
映画『国宝』で世界的な舞踊家、田中泯(敬称略)が演じる人間国宝の歌舞伎役者、六代目小野川万菊が、自ら終の棲家に選んだのは場末の安旅館である。原作を紐解けば、歌舞伎界の重鎮であった万菊を知る由もない同宿人達の脳裏に色濃く刻まれたのは、すべてを脱ぎ去った万菊との和やかな交流のひと時である。
「一緒に酒かっくらってっと、陽気な爺さんつうか。陽気な婆さんでたのしかったよ。」、「酔うと着物に着替えて、部屋で踊ってくれたんだよ。足元なんかヨタヨタして下手くそなんだけどさ、昔を思い出すんだろな。とにかく楽しそうに踊ってたよ。」、「あの菊さんが寝こんじまったんで、近所の酒屋で玉子酒作ってもらって持ってったことあんだよ。そしたら菊さん喜んでなあ。」(吉田修一著「国宝 下 花道編」, p212)
一流の舞台を踏み女形役者を極めた玄人が、歌舞伎とは無縁の素人衆相手に安宿で披露した舞納めの風姿は、アンデルセン『赤い靴』の生涯踊り続けねばならない運命に似通うが、はるかに天真爛漫で無我無心である。珠光の言葉「藁屋に名馬を繋ぎたるが良し」(山上宗二記)の名馬意識や匠気なく、十牛図十番目の「入鄽垂手」を彷彿とさせ、芭蕉曰く「高くこゝろをさとりて俗に帰るべし」(三冊子・あかさうし)の帰来の契機を経て還りついた而今の境地なのだろう。
「まえの晩、また余興でもしたのか、その顔には白粉が塗られ、紅も差され、日当たりの悪い部屋だったせいもありまして、一瞬のことでありましたが、まるでそこに妙齢の美しい女が眠っているように見えたそうであります。」(同、p212)は、朝に顔を出さない万菊を案じて部屋を訪った宿の主人が見た最期の姿である。
「女形というのは、男が女を真似るのではなく、男がいったん女に化けて、その女を脱ぎ去ったあとに残る形である」(同, p258)との言葉がある。生前、同宿者の一人に語った「ここには美しいものが一つもないだろ。妙に落くんだよ。」(同, p213)という市井の一隅、人生の千穐楽で、希代の女形役者がみせたのは紛れもない終焉の華であった。
<冒頭>さぎむすめ / 月岡芳年『新形三十六怪撰』
II: Heron Maiden Sagi musume / Stevenson J: Yoshitoshi's Thirty-Six Ghosts, Blue Tiger Books, 1992