次に触れたのはPC-9801VM、1985年に日本電気が発売した16bitデスクトップである。5インチのフロッピーディスクドライブ内蔵、ドットインパクトプリンターを接続して使っていた。かつてはCRTモニターが主流、現在はEIZOブランドに統一されてその名前はなくなったNANAOの、到底一人では動かせないCRTモニターの前に座れば、さあこれからひと仕事やるという士気の高揚を感じたものだ。ソフトはMS-DOS用ワープロソフトWordstarや表計算ソフトLotus 1-2-3を使っていた。休日ともなれば、大阪日本橋電気街の店舗巡りでパーツを物色するのが楽しみで、周辺機器をせっせと増やしていった。
この頃、奇形腫に関する初めての海外投稿を行ったのだが、舞い戻ってきた論文に添えられたレフェリーの一文は冷ややかに、
”Too much convoluted reasoning and too many illustrations. Reject. ”
関西弁で申せば、「言うてることはぐだぐだと、やたら写真も盛りすぎ。ほな、さいなら。」というところか。再度練り直して別紙に投稿、ようやく掲載されたのが初の英語論文となった。
