
河原町四条、南座の劇場正面にまねきが掲げられると、京都は師走である。吉例顔見世興行、新檜舞台開き、東西合同大歌舞伎を、本年吉日、二階正面の最前列で観劇する機会を得た。昼の演目は、第一「玩辞楼十二曲の内、藤十郎の恋」、第二「恋飛脚大和往来、新口村」、第三「新皿屋舗月雨暈、魚屋宗五郎」、第四「仮名手本忠臣蔵七段目、祇園一力茶屋の場」であった。
「藤十郎の恋」は中村扇雀の坂田藤十郎、片岡孝太郎のお梶で、はんなりと情感豊かな舞台であった。藤十郎が役作りの思案に暮れた挙句、茶屋宗清の女房お梶に道ならぬ恋を仕掛ける。諸々の逡巡の果てに覚悟を決めて行燈の灯りを吹き消したお梶のさまに、演技の手立てを盗み取った藤十郎は、漆黒の暗闇に女をひとり残して立ち去ってゆく。新境地を得た藤十郎の芝居は連日大入りとなる。その都万太夫座を訪れたお梶は、さぐりを入れてくる者達に、もしそうならば三国一の果報者であると返した後に楽屋で最期を迎える。それを知った藤十郎は、芸のためには一人や二人のと舞台に向かって独り言つ。以上が菊池寛原作のこの芝居の筋書である。元禄の名優が密夫の工夫に本当の所は何を加えたのか、はるか後代のど素人が知る由もないが、あらぬ妄想をめぐらせたみたのが以下の私見である。
不義密通の果てには命を差し出さねばならない過酷な運命が待ち受けている時代である。踏み越えてはならない桎梏が厳然とあり、心の欲する所に従って矩を踰えては外道よと誹りを浴びた社会であった。それでも女は、かつて連舞を舞った頃からと積年秘めた思いの丈を打ち明けた男の情けを受け止めて、この世とあの世を隔てる、いまだ渡らぬ朝川を渡ろうとしたのである。ところが振り返ってみれば、そこに居てくれる筈の、共に地獄の業火で焼かれてもかまわぬという心意気の男の姿は消えていた。お梶は逃げた藤十郎に対する絶望で、浮世のその身を捨てたのではない。全てのからくりを知ってしまった後、あの時、無明の闇の中で腹を括ったおのれの実(まこと)の覚悟に殉じてみせた。今度は藤十郎がひとり、明るく煌びやかな虚(つくりごと)の舞台の上に残されたのである。
虚実皮膜の境のところに芸の真実があるのならば、役者にとって、実(まこと)は花鏡で述べられたところの離見の見、見所同心の眼を経て、発酵し熟成されてこそ虚空の大舞台に捧げる美酒となる。その藤十郎とお梶の心持の違いは、他の道行きの男女の思いの相違にも連なる。お梶は周囲が見えぬ様に行燈の灯りを消した。女は自己の世界で完結し、それが女にとっての実(まこと)となる。反して藤十郎は闇から出でて背後の障子を閉めた。ことのはじまりから落魄の果てまで、男は何処までも見所(世間)と同じ心でおのれを見る眼を引きずり、その眼を捨て去ることは金輪際出来ないのではないか。それとの葛藤をその身に滲ませずして、道行きの男の立ち姿は成り立ちはしない気がするのである。
遥か時代は下るが、「貧しさに負けた、いえ世間に負けた」のフレーズで始まるのは、1974年に一世を風靡した歌謡曲『昭和枯れすすき』であった。古典芸能も大衆芸能も、取り出してみせる人の機微に何の違いがあるものか。この昭和の道行に描かれた男と女の心の持ち方もまた、異なるものであったに違いない。