捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ 君に馴れにし我が身と思へば (後拾遺集)
和泉式部のこの絶唱を思い浮かべた時、東西の時空を越えて共通な、そのような愛され方をした女性の気持ちが心に沁みてきた。その身を慈しみ真摯にありたけの思いを注いでくれた、そして憂き世にひとり自分を残して旅立っていった男性の、ただ一つの大切な形見がその女性自身だったのである。かけがえのない思い人を失った後に、絶望の淵から明日へと命を繋ぐ孤独な心を支えてくれるものは、紛う方なく、その人が我が身に深く刻んで行った記憶に違いない。
それにしても、紫式部日記で悪しざまにけなされた人ほど、清少納言もまたしかり、私にはより一層、有神で魅力的に映る。陰刻のくぼみが深くなればなるほど、反ってその人となりが鮮やかに浮き上がって見える。これはどうも一筋縄ではゆかぬ性格らしい紫式部の、練りに練り上げた逆説的なエールであったのか。